レヴィナス『全体性と無限』要約

『全体性と無限』isbn:4772001018


フッサールハイデガーメルロ=ポンティレヴィナスと続く現象学の系譜の、一応最先端と言われるレヴィナスの本。

用語説明

  • 他者

私の生や意識などではないもの。
私には自由にコントロールできない。

    • 死・暴力
    • 内密性・女性(的なもの)・エロス
    • 家を持たず、何も所有せず、苦しむ者
    • 師・教え・発語・意味・審問・正義

などの形をとって現れる。

  • 元基

エレメント。空気や水や大地のイメージ。生を成り立たせているもの。他者とは区別される。

元基を「糧」として「享受」することで「幸福」になれる。

  • (主観的)時間・意識

生は死・暴力に常に晒されるため、まだ死んでいないという態度を取ることで対抗する。この態度が時間・意識である。

  • 家政・経済(エコノミー)

内密性・女性・エロスとの関わりによって、私は「家」を持ち、「表象・思考」に基づき「労働」して作品を作り、事物を「所有」する。このプロセスが家政・経済である。

  • 贈与と倫理

他者は家を持たず、何も所有せず、苦しんでいる。私たちは家を持ち所有している。
私はそういう他者を前にすると、自分のものを贈与せずにはいられないし、私は寛大さによってこれをなす。
倫理学においては、他者を傷つけない、贈与することが基本になる。

  • 言語

師・教え・発語・意味・審問・正義は、言語をもたらす。
言語を贈与することは、言語が他者と共有され、伝達可能で普遍的なものになる契機となる。

  • 理性・普遍性・全体性

言語の贈与によって、理性・普遍性・全体性というものが生じる。

  • 政治・戦争・歴史

理性・普遍性・全体性は政治・戦争・歴史という非人称的なものをもたらす。

『全体性と無限』の世界観

レヴィナスの『全体性と無限』の世界観は、おおざっぱに説明すると元基と他者が絡み合って出来るものです。
以下に示します(カッコ内は他者からもたらされるもの)
元基
→生と幸福(+死・暴力)
→意識(+内密性・女性・エロス)
→家政・経済(+家を持たず、何も所有せず、苦しむ者)
→贈与と倫理(+師・教え・発語・意味・審問・正義)
→言語
→理性・普遍性・全体性
→政治・戦争・歴史


これはこういうものだとして、後学の人が再利用する際に便利であれば幸いです。

私見

なーんか今の自然科学の観点からすると「古い」ところが目立つでござる。

  • 経済はともかく、家政が贈与や倫理に先行するのってどうなんだろう?

動物の世界では利他的行動がみられるけど、それが家族を常に持っているとはちょっと信じられない。
ホンソメワケベラは大型魚の食い残しや寄生虫を食べるけど、彼らは家族や組織ではないし、定住している訳でもないと思う。

  • この家政のモデルでは定住民にしか適用できないのではないか?

ここで言う家というのは、多分定住民の家であって、狩猟採集民は家を持たないと思うんだけど、どうなんだろう。
生活の場であれば家だというのなら、家を飾る作品や所有物云々という記述が浮いてしまう。
狩猟採集民は倫理を持たない? そんな訳がない。彼らにとっては相互贈与=互酬が支配的な倫理観であって、正にレヴィナスの説明する倫理モデルが広がっている。これはどういうことだ?

  • 家族には言語はないのか?

動物のつがいは下半身さえあればいい(クラウザーさん風に言うと)ということを一瞬思うけど、実際にはフェロモンで事前に意思疎通していることも多いはずです。
フェロモンは言語じゃないというなら(俺はそうは思わないけど)、鳥類に広範に見られる構文的音声言語があって、それでつがいを見つけている訳ですよね。
それに、触れそうで触れないというエロスは単にエロスなのではなく、それ自体が言語でもあるとも言える。感情を伝えるノンバーバルコミュニケーション