今回の都条例に賛成も反対もできない立場からブツブツ言う

今も迷っている。

暴力の意味も分からないままライダーキックするお子様にライダーを見せるな、どうせ誰も暴力の意味を分からせることなど出来やしないのだから、という捨て鉢なことを考えている(俺は大衆なので、自分自身も大衆のことも信じていない)。
個人のレベルで正しくても社会のレベルで問題なら、個人を殺してでも社会を生き延びさせることをしないと、上位概念は維持できないんじゃないの、とも思う。人類が政府を持ちえたのも、政府のために下位概念である個人や社会を抑圧できたからだ。(もちろんそれでは政府が肥大化しすぎて自ら維持できないのだけれど)

同時に、政府や地方政府が表現物の規制とか法理論的に馬鹿じゃないの、それは当事者しかやっちゃいけないし、当事者がやらなくても政府が介入しちゃいけないんじゃないの、とも思う(しかし法理論的な話は今回全く役に立たなかったように見える)。
性愛や表現物の質量はそのまま人間関係や社会の質量なのだから、減らしてどうする、国力を削ぐだけじゃないか、とも思う。

ここに俺の中で決着がつかないと、今回の都条例についてはなーんにもいえん。今も迷っている。というのが正直なところだったりする。
とりあえず、コミットしている人たちは、首尾一貫しようぜ。twitterを見ていても、反対派に首尾一貫してない人がたくさんいた。
残念ながら賛成派は首尾一貫していた。あいつら最近生意気だからシメてやろうぜ、だった。それがいいのかどうかは俺の口からは何ともいえない。いじめっ子が大人になると大変だな、とは思う。