リベット「マインド・タイム 脳と意識の時間」要約

マインド・タイム 脳と意識の時間
マインド・タイム 脳と意識の時間

心理学において異端視されていた、意識について研究しているベンジャミン・リベットの発見に関する著作です。


刺激的な文章がたくさん出てきます。
いわく、「意識は外からは見えないので、人間が報告しないといけない。逆に言えば意識研究は人間の報告によって行われる
いわく、「意識の特徴とはアウェアネス(気づき)である。これは持続的興奮によってもたらされ、持続していると意識が発生し、持続していないと無意識である
いわく、「事象へのアウェアネスを引き出すには、脳には適切な活性化が最大で約500ms(ミリ秒)間という比較的長い時間続くことが必要である。それより短い活性化は全部無意識である」
いわく、「当然あちこちでタイムラグが発生しているが、これを意識は統合して、前々から意識が継続的にあるがごとく認識する
どうでしょう。「科学は外から見えることだけ扱うしかない」「触ったときから触られたという意識がある」と私は思っていましたが、実験によりそうではないことが示されたわけです。


さらに刺激的なのは、自由意思に関する部分です。
先ほどのは感覚の話でしたが、運動においてはどうか。
いわく、「自由で自発的な行為の550ms前に脳は起動し、アウェアネスが生じるのは150-200ms前である(400ms程度のタイムラグがある)」とのことです。これがどういうことかというと、「自由意思は動因ではなく」、「無意識の動因→意識を伴う自由意思→行為」、という図式の方がより筋が通っている、ということです。
じゃあ自由意思ってゴミなのか? そうではなく、150-200msの間に「あっこれはまずい」と思ったらストップをかけられる、そういう仕組みのようです。「えーでもそれ自由意思か?」と言われるかも知れませんが、少なくとも無意識に100%支配されているわけではない、意識が物言いをすることはできる、とは言えます。
当然この発見は、哲学で自由意思がどうこうと言っている人々を震撼とさせ、今でも議論は続いています。


ここから飛躍するのですが、リベットはさらにある発見をして、そこから前衛的な仮説を立てます。
いわく、「主観的な遡及を直接媒介する、またはそれを説明するとみなし得る神経メカニズムがないようである。自由意思による拒否においても同様のことが言える」ということです。
神経は媒介していない。だとしたら神経以外の何かが媒介しているはずである。いったい何が媒介しているのか。さて困った。
ここでリベット氏は意識を伴う精神場(CMF)という概念を提唱します。CMFは統一された主観的な経験をもたらし、ニューロンに影響を与えたり変化させたりする原因となる能力がある、神経伝達を必要としない伝達方法を持つ場です。
これは物理的な場ではなく、主観的にのみ感じられる場です。「ええー」とお思いかも知れませんが、リベットがそう言ってるのでしょうがない。リベットはこれを検証するための、神経を切断し血管は残して生かす術式まで考えています。当然これができるかというと困難を伴うでしょうし、現時点では仮説の域を出ません。
もしこういう場を患者が報告したとしたら、こういう場が(物理とは違うレベルで)存在するとしか言えない、ということになるでしょう。どういう創発が起きているのかはサッパリ分かりませんが、これは物理から化学への飛躍でも事情はあまり変わらないので、別に悩むことはない、とリベットは言ってくれます。うーん。まあ本人がそう言うからにはしょうがない。