『ミラーニューロンと心の理論』要約

ミラーニューロンと“心の理論”
ミラーニューロンと“心の理論”


人間にはミラーニューロンやそれに類似したミラーメカニズムがあり、これで他者の運動や感情と共鳴する、という話は今までしてきたと思います。
この本は一歩進んで、身体性と運動・感情の関係に踏み込みます。あれ? これどこかで聞いた話? そうそう、ダマシオ三部作であった、「感情とは身体内部の反応=情動を反映した心の働きである」という話になるのです(この本は一部ダマシオの説を参考にしています)。

  • 身体的自己・他者から模倣、そしてメンタライジングへ

まず、身体的自己・他者について論じられます。
最も基本的な自己感には、身体保持感(この身体はまさに自分のものであるという感覚)と運動主体感or自己主体感(この身体の行為を引き起こしたのはまさに自分自身であるという感覚で、非意図的な身体の運動には伴わないし、他者の身体の運動にも伴わない)があります。


身体保持感については、体性感覚野からの内在性感覚および運動野由来の運動情報(遠心性コピー)が頭頂葉へと投射され、これらと視覚的身体時間的整合性のある場合に身体保持感が生じます(この本の第一章を担当した嶋田説)。
脳の基本的な領域は四つあって、視覚野・聴覚野・体性感覚野・運動野があるということを大昔書いたと思いますが、そのうち三つが使われるということです。
なお、これで時間的整合性がなかった場合どうなるかというと、視覚的身体は他者身体として知覚されます。そりゃそうだ。つまんだりつついたりしているところを見ても、実際には何にも触覚を感じないのなら、その身体は自分とは関係ない。という発想になります。


運動主体感については、身体が一貫性のある統一されたものとして体験されるには、求心的情報(感覚)だけではなく、遠心的情報(運動)が必要となります。
どういうことかというと、中枢神経系のモデルで、運動制御・運動学習を最適化するために、逆モデル順モデルがあるとされます(ウォルパート、1997)。
逆モデルは割愛して、順モデルとは、四肢の筋肉の遠心的コピー(運動のコピー)が送られて、運動系の次の状態を予測するための仕組みです。これをすると、四肢の筋肉の運動のコピーがない時に比べて「次はこうすればよい」というのが迅速に予測できるという仕組みです。
これは特に意図的な運動をするときに威力を発揮します。意図的な運動をして感覚結果が予測できるようになれば、「自分が運動すると身体がこう反応する」というのが分かるわけです。そういう意味でも感覚と運動はペアでなければなりません。これが運動主体感の元になります。


一歩進んでこれらを組み合わせるとどうなるか。
身体保持感はある、運動主体感もある、となるとこれは自己の身体です。
身体保持感はある、だが運動主体感はない、となるとこれは基本的には他者の身体である(そうでない幻覚などもあるが割愛する)。となります。


このような身体レベルで、自己から他者のミラーニューロン・システムが作動すると、模倣・他者の意図理解・言語が生じます。


このような仕組みが無意識的にうまくいくかというと、順モデルによる遠心的情報と、元の求心的情報が一致しないときがあります。こういう時はどうするかというと、推論による理解が必要になります(シノフジック、2008)。
これには記憶のシステムが必要になりますが、これは後で説明します。記憶の最も高度なものはエピソード記憶といい、私がいつどこで何をしたか、ということが記憶されます。これが推論の時の基盤となります。


模倣・他者の意図理解・言語と、知識構造・記憶・物語生成により、推論によるメンタライジング(心象化)ができるようになります。
メンタライジングとは、知識、信念、思考内容、性格など、運動や意図より抽象的な心理的内容に関する処理、欲求や好みや性格特性の推論をさします。これは「視点取得によって他人の身になる」「意識が自分の内部に向かう、内省、自由思考(デフォルトモード・ネットワーク)」「他者や自己の心の内容を考える」ことにより可能になります。特に最後は「動作など私的な意図、自分に似ている他者に反応する」、「他人への動作など社会的な意図、自分と似ていない他者に反応する」かという細分化が可能です。

なお、同じことは感情についても言えます。
(内臓などの)内受容感覚がある、感情もある、となるとこれは自己の感情です。
内受容感覚がないのに感情だけがある、となるとこれは基本的に他者の感情です。
この辺は「感情とは内受容感覚=情動を反映した心の働きである」というダマシオの話を思い出しますね。


身体においてはミラーニューロンであるものが、感情においては前部島・前部帯状皮質扁桃体となります。
自己から他者への前部島・前部帯状皮質扁桃体の作動、そして表情模倣などのミラーニューロン・システムが作動すると、共感が可能になります。


共感とエピソード記憶によって道徳感情が生じるとされますが、それについてはこの本ではサラッと流されており、まあそりゃ実験は難しいだろうな、とは思います。ダマシオのソマティックマーカーの実験と合わせて何か出てこないかしら。

  • 五つの記憶階層

後学のため、記憶システムについても説明します。
五つの記憶階層があり、手続き記憶が最も根本的で無意識的、エピソード記憶が最も高度で意識的です(タルビング、1991)。

    • 手続き記憶:運動技能、認知技能、単純な条件付け、無意識的
    • 知覚表象:形態的・音韻的情報の無意識的な同定、無意識的
    • 意味記憶:物事の事実や概念、言語の意味・イメージ情報、「知っている」という記憶の仕方、海馬に対する依存性が低い、無意識的
    • 短期記憶:数秒の間保持される知覚的概念的情報、意識的
    • エピソード記憶:私がいつどこで何をしたか、「思い出す」という記憶の仕方、海馬が必要、意識的

という説が出てきます(ヘイズ,2010)。
連合学習とは、同じタイミングで二つの事象が起きると、その二つの事象を結びつけるような学習が行われる、というものです。
何かというと、Aが何かをするとき、Bが「同じ」何かをしていたとします。俺がつかんだらお前もつかむ、俺が笑ったらお前も笑う、みたいなことですが、こういうことは親子間や子ども間でしばしば起こりうることですが、これを繰り返すと「自分が何かする」ということと「誰かが何かする」ということがセットで学習されます。こうなると「誰かが何かする」と、「自分が何かしなくても」「自分が何かしたかのように」ニューロンが発火する、ということが生じえます。これがミラーニューロンだというんですね。
説明としては面白く、何でヒトはマカクザルと違って運動野だけでなく感情部位にまでミラーメカニズムがあるか、ということを比較的容易に説明する(即ち、運動ミラーニューロンと感情ミラーメカニズムは基本的に同じ連合学習の産物であると言える)ので、魅力ある説だと言えます。