山鳥重「「わかる」とはどういうことか」要約

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)
「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)


記憶、理解について書かれた本。


まず、記憶理解するためにも、知覚がなければなりません。
知覚は、まず好奇心(おおまかな心の傾向)があって、注意(具体的な方向付け)が向けられて、そうして知覚(正確な区別)がなされます。この本では注意とは知覚等の方向付けで、知覚とは何かある対象の他の何かとの区別ということですね。
こうして知覚された対象は「心像(イメージ)」となります。五感に入ってきた情報を脳で再構築したものが心像です。


このような知覚心像が意味を持つには、記憶心像という裏付けが必要になってきます。
記憶心像そのものは知覚の積み重ねでもあり、繰り返される入力情報の共通の部分に対して、共通に反応するニューロンネットワークの心理的表れが即ち記憶心像です。このような記憶心像は、その(知覚)心像が何であるかを判断するための基準として使われます。
理解する、わかるためには記憶と知識の網の目ができていなければなりません。記憶にあること(多くの場合は言語の単語である)はわかるし、記憶にないことはわからないのです。


記憶には、タルビングの五段階説もありますが、この本は古いせいか、三段階になっています。即ち、手順の記憶、意味の記憶、出来事の記憶です。
最初は一回性の出来事の記憶があって、この類似部分を繰り返すとそこが意味の記憶になり、また同じ出来事を繰り返すとそれが手順の記憶になります。決して低級の記憶から高級な記憶ができるというわけでもなくて、トップダウン式に記憶される、というのが面白いですね。おそらくトップダウン式は効率などの点で何らかの利点があるのでしょう。


また、記憶や知識の網の目は、何か新しい問題に直面したときに整理され、現時点では対応できない場合はわからないという感情が生じ、これが疑問を生みます。こうして自発的に疑問を持って、それを解決することによって、その知識は強固なものになります。


記憶の中でも特殊なものがあり、作業記憶について語られています。これは複数の心像をしばらく同時に把持する能力であり、意識思考と密接な関係があります。
いわゆる知能というものは、常に変化し続ける状況に合わせ、その時にもっとも適切な行動を選び取る能力であり、これは作業記憶によって可能になるということです。