カント『判断力批判』(下)要約

判断力批判』下isbn:4003362586
さて、判断力に属するけど快と関係のない自然目的についてです。
我々は自然というものを経験しますが、我々はそこで有機物を見たときに、機械論を越えた目的論を感じざるを得ません。
これは判断力の持っている性格で、判断力は自然と理性の自然目的=神理念を関連付けます。
要するに、自然がこんな目的論的にできているのは、神が作ったからだ、ということですね。
無神論者である私の目には「何そのオカルト。キモイ」といいたくなるところですが、カントもそこは弁えていて、これは客観的法則ではなく判断力の主観的法則にすぎないと言っています。


さて、判断力は神理念を要求しますが、神理念を導き出せるか? 導き出せません。
理論理性は神だの何だの理念を導き出そうとしますが、そういったものは経験によっては証明されないので、失敗が運命づけられています。


じゃあ神理念は導き出せないのか? そこで実践理性の出番となります。
実践理性批判のエントリで書いたと思いますが、カントは自由から道徳的法則を導き出しています。個人的にはどうしてそうなるのか分からないけど。
道徳的法則は神を要求します。個人的にはまたまた何で? となるところですが、要するに善をなしたら幸福になることを神が保証してくれる、ということだそうです。
この辺がキリスト教圏と無神論者の違いかな。自然界と関係ない善なんて何の役に立つのかとか、幸福にならなくても善は善じゃないかとか思ってしまいます。
まあとにかくこうして実践理性は自由と道徳的法則から神理念を導き出せると称しています。ここも全然納得行かないところです。実践理性は神を要求しているだけで導き出せてはいないのではないか?


要約するとこんな感じでしょうか。

  • カントの考える精神能力には感性・構想力・統覚・悟性・判断力・理論理性・実践理性がある
    • 経験は感性・構想力・統覚・悟性によって成り立つ
      • 感性は感じる能力であり、直観を生む
      • 構想力はパターンの能力であり、図式を生む
      • 統覚は自我であり、直観をまとめる
      • 悟性は普遍的法則や概念を生む
    • 判断は悟性と判断力からなり、経験による総合判断と、概念による分析判断がある
    • 判断力は特殊を普遍に含む能力であり、判断の元になったり、能力を結合させたりする
      • 判断力には普遍が与えられていてその中に特殊を含む規定的判断力と、普遍が与えられておらず特殊から普遍を導き出す反省的判断力がある
      • 判断力は主観的な格律しかもたらさない
      • 判断力は美学においては構想力と悟性を連関させる。美は対象の経験の形式、特にパターンから背後に隠された法則を見出して快を感じる
      • 快適においては対象の経験に快を感じる。ここには判断力は働いていない
      • 判断力は崇高においては構想力と理論理性を連関させる。無限大に関するパターンは絶対的全体性というイデアにたどり着こうとするがたどり着けず、逆説的にイデアってすごいなあと快を感じる、これが崇高である
      • 判断力は目的論においては自然に関する経験と理論理性の自然目的=神理念を関連付ける
    • 理論理性は総合判断や分析判断を元に理論を作り、神だの魂の不死だの自由だのの理念を生む
      • 神だの魂の不死だの自由だのは経験とは関係なく(分析判断によるものであり)、経験によっては証明できない
    • 意志は感性・悟性・実践理性によって成り立つ
      • 感性から幸福を求める意志が生じる
      • 悟性or実践理性から自由意志が生じる
      • 実践理性から善意志が生じる。これが意志の中核である
    • 実践理性は自由理念から道徳的法則を作り出す
      • 意志・行為・道徳的法則が結合すると尊敬・義務・徳が生じる
      • 徳は幸福・神・魂の不死と結びついて最高善・宗教として結実する

図にするとこんな感じでしょうか。字が潰れていたら申し訳ないですが、各自ダウンロードして拡大して下さい。