カント三大批判を読んで

いくつか思った点というか引っかかった点があります。

  • 心理学との比較
    • 普通の心理学は感覚・行動に着目する
    • とはいえ内部の構造を行動や筆記や反復性経頭蓋磁気刺激法などによって明らかにする心理学ももちろんある
    • カントも結局は行動や筆記を通じて内部の構造に着目しているのであって、先験的に分かるとかいうのは嘘なんじゃないか
  • 倫理学・宗教学との比較
    • 自由と道徳的法則ってそんな直接に関係あるか?
      • 自由って普通は機械論だけでは説明できないように見える因果性のことのはずで、そこはカントもそう言っている
      • 道徳って普通は何かをすべきってことで、それは例えば互恵関係、忠誠、権威の尊重、身体的な危害の制限、性的関係や食べ物の規制などである
      • それらは自由に基づくかも知れないが、間に何枚も板を挟んでいるというか、かなり迂遠な関係のように思う
      • また自由ではない自然との関係も(カントはそれを混じり物として退けているが)否定できないのではないのか? 
    • 徳と幸福を結びつけるために神の存在が要請されるというのが分からない
      • 理論理性では神は要請されるだけで実現できないというが、実践理性でも神は要請されるだけで実現できないのではないか?
      • 別に徳と幸福を一致させなくてもいいんじゃないのか。そんなに徳に対する幸福の救済が欲しいのか
    • 美学・目的論との比較
      • 崇高は経験と構想力と理性によってもたらされるが、経験の影響は極めて弱いように見える。それで果たして世にある崇高経験を説明できているのか?


特に倫理学・宗教学の領域については私は大変懐疑的です。
認知科学が発展した結果、自由と道徳は全然別の領域や階層によって成り立っているんじゃないかとか、自然も無視できないのではないかとか、そういう疑いがビンビンありますね。
倫理と宗教の脳部位における関係は面白いところなので是非突っ込んでいきたいですが、ここもカントの考えているのとは相当違っていそう。
結局認知科学が発展するまでの仇花、検証されていない仮説、ドグマなのではないか? という。