『脳のなかの倫理』要約

『脳のなかの倫理 脳倫理学序説』isbn:9784314009997


認知神経科学者であり大統領生命倫理評議会メンバーだったマイケル・S・ガザニガの書いた本です。
彼は認知神経科学者として、大統領生命倫理評議会が科学的に考えておかしい要素によって決定されることが我慢ならず、その立場から書いているように見えます。


いわく、胚がいつから生きた人間になるかにはある時期で質的な境界があり、それ以前は生きた人間として扱わなくても実は問題ない。
いわく、認知症患者には覚醒して注意力を持つといった意味の意識は医学的に存在しないのであり、それをもって自らの安楽死要件とするのならそれを尊重されるべきである。
いわく、技術をデザイナーズベイビーのように個人の利益目的で使うことはどんどんやればよく、それは現場の倫理観によって修正されうる。
いわく、脳は物理的な決定論的なものだが、「柔らかい決定論」によれば外から強制されていなければ自由な意思だと言える。
いわく、今は脳の状態と心の状態を一致させて司法に役立てるというレベルには達しておらず、それをやっても科学の濫用に過ぎない。
いわく、記憶は元々信用ならないものであり、証言には信頼性テストを行わなければならない。


などなど、生命倫理・法律レベルで大変刺激的な意見が出てきます。
個人的には現場の倫理観を信頼する見方は楽観的すぎて与することができません。ガソリンから鉛がなくなって鉛中毒がなくなった(それでも汚染された環境は元に戻すことはできない)のはクレア(クレールとも)・パターソンの功績であって、それは現場の企業によって妨害され続けてきたのだから。外部の利害関係者の視点が絶対に必要です。(詳しくはビル・ブライゾン『人類が知っていることすべての短い歴史』isbn:9784140811016


個人的にこの本を買った動機は脳と宗教・道徳の関係を描いていたからです。


宗教は環境や文化を元にした物事の解釈であり、環境や文化の影響によって変化します。また、感情をうまく説明してくれる原理であり(その点で科学は感情じゃない部分をうまく説明するのに特化した感があります)、その感情を社会構造の一部として組み入れています。
なお、この本では宗教は人類共通の道徳の核に基づいていると書いていますが、『民族の世界』では道徳を含まない宗教も存在するということを実例を挙げて説明していますので、そちらを尊重します。
長い年月を経ても生き残っている宗教は、健康を増進し、安心感を高め、配偶者選びを促進するものが多いです。


では道徳は? どの社会の道徳にも共通することがあります。

  • 殺人と近親相姦は正しくないこと
  • 子供を見捨てずに世話をすること
  • 嘘をついたり約束を破ったりしてはいけないこと
  • 家族を裏切らないことなど

一言に道徳と言っても、善悪の認知に関する研究では、主に三つのテーマを扱います。

感情と他者認識と思考が道徳を支えていると言えますし、それらは脳の活動に依存していると言えるようです。
基本的に人間の脳は道徳的な難問についてほぼ同じような答えをします(!)が、その理由を訊かれた時の解釈が異なります。詳しくはマーク・ハウザーのモラルセンステスト(http://moral.wjh.harvard.edu/)をどうぞ。日本語版がないのが残念です。
倫理は人類共通と言っていい判断に基づきますが、状況に応じて決まり、感情の影響を受け、私たちの生存の可能性を高めるために作られるので、誰もが納得して従える絶対的な規則を作るのが難しいと言えます。


じゃあどうするか? この本ではそういう人間共通の判断を最大限尊重して道徳を作ればいいのではないかと言っています。
ですがこれも私は大変疑問視しているところで、そんなのを作ったところで殺人と近親相姦のタブーとあと色々だけしか定められないんじゃないか?
それとも長い年月を経て生き残っている宗教に共通する要素を重んじる? そういうメタ宗教を倫理に生かす? それでも大枠しか定まらないような気がするけどな。細かいところを詰めていく過程で必ず教義の分派が出てくることは避けられないように思う。
ただ、大枠を定めるというのはやらんよりやった方がいいとは思います。本当に大枠しか定まらない(し、さっき言ったように定めるべきではない)と思うけど、その大枠が後の立法などに影響を及ぼすのでしょう。イギリスの自由主義のように。
強いて言えば、宗教が慎重に取り扱ってきたことが多い生命や心や倫理という領域においては、人々はもっと慎重に考えるべきなのかも知れない。ここに関する答えはすぐには出ないのかも知れない。という消極的な結論になってしまう。画期的な学者が何か新しい理論を打ち出すまでお預けということか?