『パーソナリティ障害』要約

『パーソナリティ障害』isbn:9784062584142


パーソナリティ障害(人格障害)とは何か?
誰かが(本人または周囲の社会が)それによって苦しんでいるという性格のタイプがあり、これをパーソナリティ障害と呼びます。
矢幡洋という人はパーソナリティ障害の大家であるセオドア・ミロンという学者を紹介していて、この本もその流れの一つです。
ただ、このエントリ書く前に知識のある人に見せたら「何か色々現場の感覚と異なる点がある」という反応が返ってきました。そういうもんなのかも知れないので、以下のエントリを読むときは眉に唾してください。あくまで本の要約にすぎないということは了解してください。

目次

第一部『パーソナリティ障害の研究史
第二部『現代における一四のカテゴリー』
おわりに-パーソナリティ障害理論はどこへ向かうか

第一部『パーソナリティ障害の研究史

パーソナリティ障害の歴史について語っています。
詳しくは述べませんが、パーソナリティ障害の評価基準となるDSMについて記したいと思います。
DSM精神障害の診断と統計の手引き)はアメリカで使われる精神医学の診断の指針となるものです。
アメリカの精神医学はさぞ進んでいるんだろうと思われるかも知れませんが、かつては結果と結びつかない精神分析が主流でした。
私見ではこれは精神分析が悪いというよりは、有効な手段が見つかってなかったから手探りだったという、科学の発展の上でやむをえない事情もあった訳ですが)
DSM-Iも精神分析の影響が大きかったのですが、WHO(世界保健機構)の指針であるICD(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)との整合性に乏しいという弊害がありました。
また、統計によるエビデンス・ベーストな(証拠に基づく)内容にするという作業委員会の意向もあり、現実の症状に沿うように改訂されていきました。


現在は第四版用修正版 (DSM-IV-TR) が最新版となっており、そこにはミロンのパーソナリティ障害論が大きく反映されています。
ただしミロンは14のカテゴリーを提唱したのに対し、IIIでは11、IVでは10+2(付録)となっています。


なお、DSMには「問診を想定しており、症状を説明しているだけで原因を説明できない」という批判があり、そのうち脳の研究が盛んになると大分原因に踏み込むことが可能になるのかも知れません。
それでもまだ今はDSMやICDに頼るしかない状況です。

第二部『現代における一四のカテゴリー』

ミロンのパーソナリティ障害論は以下の通りです。

  • エリクソンみたいな発達段階があり、パーソナリティ障害はそれらのどれかでちゃんと育っていないことが原因となっている
    • 第一段階:喜びと苦痛

生存にとって有益なものと有害なものを見分ける段階。
私見ではエリクソンで言うと第一段階(基本的信頼と不信)に当たるのだろうか?

      • 回避性パーソナリティ障害

傷つくのが怖いタイプ。
喜びを獲得しようとせず、苦痛を強く避けようとする。
第一段階で叱られて育ち、世界に不信感を抱き、苦痛を避けることが全てになる。

      • 演技性パーソナリティ障害

自分に自信がなく、他人に忘れられるのが怖いために、他人の注目を求めるタイプ。
喜びを獲得する度合いも苦痛を避ける度合いも標準的。
第一段階で刺激が多すぎ、単調なものを嫌うようになる。

      • 統合失調質パーソナリティ障害

無関心・無頓着なタイプ。
喜びを獲得しようとせず、苦痛を避けようともしない。
第一段階で刺激が少なく、人ではなく物によって刺激を得るようになる。それ以降対人関係に適応できなくなる。

      • サディスティックパーソナリティ障害(DSMに採用されなかった)

全ての判断基準は勝ち負けであり、他人を傷つけることで満足するタイプ。
喜びを獲得する度合いは標準的であるが、苦痛を「与える」ことを強く「求める」逆転の働きが生じている。
第一段階で叱られて育つが、他者に対して否定的な感情を引き起こすことを、自らの力として肯定的に受け入れる。他人に対しては不信感を形成している。

    • 第二段階:受動と能動

外部の環境に順応したり、外部の環境を改変したりする段階。
私見ではエリクソンで言うと第二段階(自律性と恥・疑惑)・第三段階(積極性と罪悪感)・第四段階(勤勉と劣等感)あたりか?

      • 抑うつ性パーソナリティ障害(DSM-IIIにはなく、IVでは付録にある)

自分を価値のない人間だと思っているタイプ。
受動性が強く、能動性は標準的。
第一段階での不信に加え、第二段階で何をやっても否定され、何をやっても駄目だと思うようになる。

      • 依存性パーソナリティ障害

従順で自分がないタイプ。
受動性が強く、能動性に乏しい。
第二段階で、親が子供を駄目な存在とみなし、何でもやってやったり、報酬と引き換えに従わせたりする。これにより子供は従順になる。

      • 自己愛性パーソナリティ障害

自分は特別な人間なのだと思っているタイプ。しかしそれに見合う努力はしていない場合が多い。搾取的で他者への共感に乏しい。
受動性が強く、能動性に乏しい。
第二段階で、親が子供を過大に優れた存在とみなし、何でもやってやる。これにより子供は自分が特別な人間だと思うようになる。

      • 反社会性パーソナリティ障害

既存の権威や規則に逆らい、他者から奪い取るタイプ。
受動性に乏しく、能動性が強い。
第一段階での不信に加え、第二段階で親が子供の指導を行わないので、自分でやっていくしかなくなり、愛されるという可能性を放棄し、奪取して自分のものにすることのみが人間関係の手段だと考える。

    • 第三段階:自己と他者

生殖の段階。自分を大事にしたり、子どもを代表とする他者を養育することを優先したり、生殖の戦略の幅がみられる。
私見ではエリクソンで言うと第六段階(親密性と孤立)・第七段階(生殖性と停滞)あたりか?

      • 妄想性パーソナリティ障害

自意識過剰で他者を信用していないタイプ。自分の判断の客観性に対する吟味をほとんどしようとしない。
自己も他者も大事にせず、自己と他者や外界の間に壁を作る。
第二段階で親に過大評価されるが、第三段階で挫折し、心に壁を作り、それ以上に影響が及ばないように隔てておくようになる。

      • マゾヒスティックパーソナリティ障害(DSMに採用されなかった)

楽しむことをタブー視し、一定量の不幸を必要とするタイプ。
自己を大事にしないが、他者の扱いは標準的。
第一段階で親が苦痛を与えても、親に対する愛着を形成せざるを得ず、苦痛と愛着が結合してしまう。
第二段階で自分がネガティブな状態であった方が報酬が与えられると学習してしまい、不幸を適応の手段として待機する態度が形成されてしまう。
第三段階で自分の利益を求めてはならない、他人に対して奉仕しなければならないと思い込むようになる。

      • 拒絶性(受動攻撃性)パーソナリティ障害(DSM-IIIにあり、IVでは付録にある)

相手と正面切ってぶつかる強さは持っていないが、足を引っ張ることで満足するタイプ。
自己の扱いは標準的だが他者を大事にしない。自己と他者の間で葛藤する。
第三段階に至るまでに、よいことをしたら叱られたり悪いことをしたら褒められたりと首尾一貫性のない育てられ方をし、神経過敏になって苛立って育つ。
第三段階で他者に依存するか反抗するか葛藤する。

行動に一貫性のないタイプ。他者にしがみつく。他者からはっきりと区別されるまとまりを持った自己の領域の確立が不十分で、その時々の気分と刺激に振り回される。
自己の扱いも他者の扱いも標準的。自己と他者の間で葛藤する。
第三段階に至るまでの問題は人によって様々である。
第三段階で(周囲の)社会や文化にこれという確実なモデルがなく、競合する価値観や要求が存在する中で混乱して育つ。

    • 第四段階:思考と感情

第二段階・第三段階にまたがって獲得されるべき段階。対象としての自己のイメージを持てるようになる。思考や感情が現実とそぐわなければならないし、思考や社会規範が感情を抑圧しすぎてもいけない。
エリクソンで言うと第五段階(同一性と役割混乱)あたりか?

世界観の独自性が強く、通常の社会人が共有している世界とは著しく異なるタイプ。
社会的制度のモデルが見出せず、アイデンティティの拡散の問題に加えて、思考過程に一貫性がなく、感情も現実から遊離したものになっている。

      • 強迫性パーソナリティ障害

完全主義、優柔不断、組織への埋没が見られるタイプ。
愛着期に安全感を得られなかったので、不確実性や複雑さを恐れる。
親がミスを見つけて叱るという家庭教育を続けてきて、子供に怒りが蓄積されているが、そんな反抗心がばれてしまったらきっと罰を下されるという恐怖心を感じ、ルールにしがみつく。
第二段階では受動性が強く能動性に乏しい。
第三段階では自己を大事にせず他者を大事にする。自己と他者の間で葛藤がある。
第四段階では思考に偏りすぎ、思考で感情を過剰に統制したり、既存の社会規範に小心に従おうとしたり、既存の価値観との一体化が極端に進んだりしている。


こういう体系になっております。
特に今のDSMにないものはなく、あるものは全部あるので、これで実際の運用と批判に耐えうるというところが大きいと思います(実際の運用と批判の結果どう評価されているかは筆者は述べていない)。
発達課題と絡めたのも面白いところです。パーソナリティ障害ってうっかりすると生まれつきみたいなイメージがあるから、後天的に作られるという観点はとても大事。
ちなみにミロンは「極の一方に傾きすぎている場合、もう一方の方向へレパートリーを拡大し、柔軟な選択を可能にしよう」という治療論を示しています。


なお、これらをマトリックスにしたものがあります。第二段階の受動-能動と、第三段階の自己-他者を交差させたものです。
自己-他者の関係には四つあり、自己寄りの独立的グループ、他者寄りの依存的グループ、自己と他者の距離をとる隔離的グループ、いずれの態度にも決めかねている葛藤グループがあります。

  • 非重症パーソナリティ
    • 独立的グループ:エゴイズム
      • 能動的:反社会性:積極的に私利を貪ろうとする盗人的な傾向
      • 受動的:自己愛性:周囲が取り計らってくれるはずと待ちの姿勢をとるお殿様的な傾向
    • 依存的グループ:他人の好意が欲しい
      • 能動的:演技性:目立つ方法でウケようという積極策をとる
      • 受動的:依存性:他人の意向に付き従おうという受身策をとる
    • 隔離的グループ:他者と距離をとる
      • 能動的:回避性:傷つけられる事態から逃げようという積極策をとる
      • 受動的:統合失調質:めんどうくさいという理由で他者に消極的
    • 葛藤グループ
      • 能動的:拒絶性:屈服は嫌だから抵抗しようと能動策をとる
      • 受動的:強迫性:優柔不断に陥る
  • 重症パーソナリティ
  • 明示されていない
    • サディスティック
    • マゾヒスティック
    • 抑うつ

おわりに-パーソナリティ障害理論はどこへ向かうか

まず、筆者やミロンはパーソナリティをモノ的実体ではなくパターンとして認識しているということが書いてあります。
パーソナリティとは「言動のよくあるパターン」を私たちが知覚しやすいように、便宜的に一つずつカテゴライズしたものにすぎません。
したがって、例えパーソナリティ・テストの測定値がどうであろうとも、それによって誰も困っていなければ、パーソナリティ障害ではない、ということです。


また著者が行っている短期療法においてはこのパターンを尺度とみなし、「このパターンの度合いが強いのが弱くなった」というのを治療の目安にしていると言っています。
この尺度とパターンの問題は根が深く、普通の性格は概ね5つの尺度を組み合わせたものです(ビッグファイブ理論。心理学で使われている)。しかし、病的な性格はパターンになっちゃってる(精神医学の立場)。
尺度を重んじるディメンジョン派はパターンを重んじるカテゴリー・モデルを「境界が曖昧で重複が多すぎる」と批判しています。
一人の対象に一つのカテゴリーが当てはまることは決して普通ではなく、一人の対象に複数のカテゴリーが少しずつ当てはまるということが普通だったりします。世間で使われているような血液型性格分類や星座占いだったら単純に分けられるけど、そうは簡単には問屋が卸さない訳です。
しかし、尺度で何でもかんでもゴリゴリやると、カテゴリーの分かりやすさは失われます。ビッグファイブ理論って+-0を考えると3^5=243種類の性格が出来ちゃうんですよね。それは正確かも知れないけど、使いやすさという意味ではちょっと大変でしょう。
さてどうすればいいか。というところで今カテゴリー派のミロンとディメンジョン派のリヴェスレーとの間で議論が戦わされています。


また、一言でパーソナリティ障害と言っても、生物学的な遺伝子や脳に実体のあるものがあったり(反社会性、統合失調症型)、先進国に多く見られる文化的なものだったり(自己愛性)、という違いがあります。ここも将来的には整理した方がいいんでしょうね。


そんなこんなで、2012年に出ると言うDSM-V(こう書くとDOS/Vみたいだ)、どんな内容になるんでしょうか。

  • ミロンの14のカテゴリーが全部採用されるか?
  • カテゴリー派とディメンジョン派の落とし所は見つかるか?

2008-05-18を見ると、カテゴリーではなく、ディメンションの見地から包括的に捉える試案が検討されているようですね。そうなると従来のカテゴリーはどうなっちゃうんだろう。

  • パーソナリティ障害は原因別に分けられるか?

多分DSMはまだ症状別であることをそう簡単にはやめられないので無理でしょう。


期待して待ちたいと思います。