『国民国家とナショナリズム』要約

国民国家ナショナリズムisbn:4634343509

要約

  • ナショナリズムの主体は、近代以前からある文化的共同体であるエスニック共同体と、近代以後の領土的・政治的・経済的共同体である国民がある
  • エスニック共同体は、言語・宗教・歴史・文化・祖国の共有によって特色づけられるが、領土や法的一元性・経済的一体性とは関係ない
  • 国民は、領土・宗教・歴史・文化・経済・法を共有する、文化的・政治的・経済的共同体である
  • ドイツは言語・人種、フランスは住民による共和政原理の選択によってナショナリズムが成立している
  • ナショナリズムは宗教の代替物として機能し、政治の影響を受けた歴史・地理・国語教育によって培われる
  • フランスに対抗すべくプロイセンでドイツナショナリズムを提唱した知識人・官僚がいて、これが後に政策に結びつく
  • ナショナリズムは、ドイツ・フランス間のように、侵略的な外国への敵対という側面を持つ
  • 特にフランスでは、ナショナリズムは侵略や植民地政策の正当化という側面を持つ
  • 多くの国民国家は、複数のエスニック共同体ないしネイションから構成されるので、つねにエスニックな問題を秘めている
  • イギリスではアイデンティティの多層化が起きており、上の層である大英帝国連合王国の弱体化が下の層の独立運動を招く
  • 大英帝国が弱体化してから、経済的基盤の弱いウェールズは弱い自立運動しか起きなかったが、油田を持つスコットランドではEUの傘による独立運動が起こった

論点

まず、ナショナリズム国民国家以前の文化的共同体に根拠を持つ。
その後、国民国家化という政治的事情によって、文化(の一部)がナショナリズムに再編される。
近代における政教分離の文脈上、ナショナリズムは従来の宗教の代替物として機能しはじめる。


ナショナリズムは富国強兵・外国への敵対・外国への侵略・植民地政策などの政策を支え、
同時に外国からの侵略や初等教育政策などの政治がナショナリズムを強化する。
こうしてナショナリズムと政治とは相互に強化しあう関係になる。


今やかつての国民国家のとった侵略や植民地政策などの政策は不可能になり、
国民国家は弱体化し、さらに大きな国家的枠組みであるリージョナリズム(ex.EU)が生じる。
また、国民国家の下のエスニック共同体による独立運動が生じる場合もある。
ただし、それは政治外交的・経済産業的な根拠がなければ、弱い自立運動にとどまる。

日本はどうなのか?

ナショナリズムと言うと、関わりたくない人と信奉する人に分けられると思います。
私は関わりたくない方ですね。ナショナリズムを信奉する人は、独善的で勝ちたがりで、
一人いるとその場のコミュニケーションの質が大幅に損なわれます。
(この前はてなハイクで、ナショナリストが一人やってきて、大変なことになったんです)


で、ナショナリズムは何で人をこうも狂わせるのか? ナショナリズムとは何なのか?
元々はそれなりに意義のあったはずの代物が、なぜ今は悪いところばかり目につくのか?
ということに関心が出てきたんですね。

日本の文化的ナショナリズム

ナショナリズムは元々は何か文化的な根拠があって、これらを共有するエスニック共同体は
いわゆる民族の最小単位と言いうる。原理的には一民族につき一エスノ・ナショナリズム


日本で言うと、いわゆる大和民族が最多数で、あと華僑・韓民族琉球民族アイヌ民族
よく話題になるエスニック共同体ですね。(華僑≠中国、韓民族≠韓国・朝鮮であることに注意)
後者がエスノ・ナショナリズムを主張して独立運動をする可能性はあります。
それを認めて条約レベルで国交を結ぶより、認めずに国内法・地方自治レベルで処理した方が、
日本にとっては楽ですね。


さて、各民族はどこまで政治力を持っていて、どこまで自治・独立をするつもりなのか?
それがあまりに強いものなら、日本も各エスニック共同体の独立承認を余儀なくされますが、
はっきり言って国民国家を一から作るのって大変だし、マイノリティは本当に少なくて、
日本での独立運動が可能とはとても考えられません。ウェールズみたいな自治運動くらいですね。
いずれにせよ、投票するか、立候補するか、政治家や官僚に働きかけるか、裁判で勝つか、
合法的で有効な手段はそれらに限定されます。


非合法に何かすることも、なくはないですが、そんなことしたら即警察か自衛隊の出番ですね。
そして、警察に逮捕されたマイノリティは逮捕された人たちのその時だけの問題で、
逮捕されていない人や釈放された人に合法的に制裁を加えることは、制度上認められていません。


ということで、マイノリティを排斥する行為は、今のところ弱い者いじめにしかなっていません。
いじめ、かっこ悪い。

日本の領土的ナショナリズム

国民国家という政治思想が出てきてから、ナショナリズムの主体は国民になりました。
文化に加えて、領土・経済・法を共有する共同体です。


日本の領土は、元々国土は大して広くないし、領土問題もいわゆる本土に限って言えば
狭い領土の奪い合いであり、植民地は一度得て失ってプラマイゼロ、という感じです。
国土に関しては基本的に静的な同一性が保たれており、北方領土竹島尖閣諸島を巡って
他国と争ってはいるものの、それが国家の存続をゆるがすということはありえません。
今、領土で民間がナショナリズムを展開して、日本レベルの利益につながるかというと、
つながらない、というのが私の見方です。


もちろん地理調査して資源について調べて、重要な地域を獲得するべく
政治家や官僚に働きかける、といったことは有意義です。
でも、例えば竹島を巡るネットバトルが有意義とはおよそ思えません。

日本の経済的ナショナリズム

経済のことを言うと、植民地のない今、もはや日本の産業はおよそ自給自足からは程遠く、
ナショナリズムを言い出した瞬間に餓死するって感じです。
さっきの資源の話をすると、資源はあった方がいいに決まっていますが、
それでも自給自足が可能なレベルだとはとても信じがたい。
20世紀後半からは基本、ガンガン輸入してガンガン輸出する、という外交重視のスタイルです。
そんな時に輸入輸出国の感情を不用意に逆なでするなんて、馬鹿なの? 死ぬの? 餓死?


およそ今の世界経済情勢では、日本にとって排外的なナショナリズムは有害でしかありません。

日本の法的ナショナリズム

法的には、日本の中には在日米軍という形で治外法権があり、
これが日本人アイデンティティを持つ琉球民族を怒らせる原因になっています。
これは、元となっているのが日米安保条約に基づく日米地位協定なので、
日本国憲法日米安保条約の整合性に関する議論になります。
これは確かに矛盾がありうるので、議論の余地が大いにあるところです。
なのでこの辺はガンガン議論すればいい。
法的根拠に整合性がなければ、国際法のルールでは、法のいずれかに変更を要求しうる。
そしてそれが政策に直結する。法が整合的であれば、より適切な政策につながる。
(と口で言うのは簡単ですが、実際の議論には法律のテクニカルな知識が必須です)

結局、日本のナショナリズムって何なの?

あるべきナショナリズムは、日本国憲法日米安保条約の法的な整合性を求めることに限られます。
よって、心あるナショナリストには、整合性を取る方法を考えて議論してもらいたいところです。


文化的・領土的・経済的には、重大な国益上の利害は認められません。
だから、マイノリティを排斥したり、竹島を巡ってネットバトルしたり、
国交断絶を求めたりするのは、国益に資さない、と言っていいでしょう。
そういう人たちは、国益に資さないということで、実はナショナリストからは程遠いところにある、
とさえ言えます。


怯えなくても、日本と言う国は大丈夫だし、当分日本と言う国家がなくなる気配はないのだから、
マイノリティを排斥せず、竹島を巡ってネットバトルもせず、国交断絶も求めないでいて下さい。
嫌だ? じゃあ何でそんなことするの? 国益に資さないのに、ナショナリストが何で動くの?
動かない方が国のためだよ。としか言えません。