『インターネットの法と慣習』要約
『インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門』isbn:4797334673
要約
法の根っこを考える
- ある法を別の環境に持ってくることには問題がある
- 法は、それらが適用される人々の共通合意や文化を背景にして正当性を保つ
自力救済と紛争解決
- 現在、ネットワーク上では、自力での紛争解決が中心となっている
- ネットワーク上での紛争解決は、自らの発言に全人格的な名誉をかけることができるかにかかっている
名誉と自力救済、そして法
- 秩序をもたらすためには、基本固定ハンドルネームを使う文化を作らねばならない
これからの法と社会を模索する
- ネットワーク上の集団の代表が存在しないため、ネットワーク上の利害が政策や法律に結びつかない
- 代表を明確化して正当な政治的要求とする努力が必要だ
主な論点
インターネット上での秩序をもたらすための試論です。主な論点は三つ。
私見・秩序と個人の責任について
これについては、可視性のレベルということを考えなければならないと思います。
プログラマ的な発想ですが、ある種の情報は、ある種の人にしか閲覧できない、
ということです。
簡単に言えば、自分自身にしか閲覧できないデータや、
特定の個人や特定の集団やサーバ管理人が閲覧できるデータ、
不特定多数が閲覧できるデータなどのレベルが考えられます。
原理的に全てのインターネットユーザーのidが戸籍のように照会できるようにするというのは、
公共性という観点から大変便利ですし、私も賛同するものです。
ですが、どの種のデータをプライバシーとして保護し、パブリックに公開するかは
ある程度個人の自由に任せることができてもよいのではないか、と思います。
実際、OSであるUNIXはそういう観点からファイル管理を行っていますし、
ソーシャルネットワークサービスであるmixiもそういう制度を取っています。
で、どの情報をどの程度開示しているかによって、他人にどの程度信用されるかが決まる、
という程度の責任を負えばいいと考えています。
例えば、本名ではなくペンネームやハンドルネームを使って発言している友人がいますが、
私と彼らとは趣味が同じ&発言が会話に値する、などの理由で付き合えています。
会話に値しない発言ばかりする、ハンドルネームをコロコロ変える人もいますが、
そういう人は無視しています。コミュニケーションできませんので。
そういう扱い方の違いによって、わざわざ本名とか住所とかを全部明かさないでも、
個人の責任を背負える、秩序も自然と保たれる、と思います。
そこで紛争が止まらなくなるケースももちろんあるのですが、そこはある種の手続きに従って
コミュニティ管理者やサーバ管理者に訴えて、彼らの書き込みをBAN(禁止)することが可能です。
コミュニティ維持が大事だと思った人は、訴えを起こし、荒れた場の修復に努めればよいのです。
私見・典礼(プロトコル)
これも公共性を考えると、規格化されるべきですね。
全ての開発会社やユーザーが開発言語やレイアウトや記法のデファクトスタンダードに従い、
そこで使いづらいなどのトラブルが起こったら、開発会社が試験的にバッチを当てて対処する、
ユーザーは正規の規格や試験的な規格のどちらも選べるようにする、などすればよいと思います。
挨拶用にグリーティングメッセージ機能を用意するのもよいでしょう。
私見・代表と政治的要求
これは実は難しい問題です。まず、なり手が誰か、という問題があります。
同人誌のサークルの代表程度なら何とかなるでしょうが、政治はそんな簡単じゃありません。
「公共性のために著作権をどうこうせよ」みたいなレベルの話になると、
単純に言って、代表者は企業家や企業ということになるでしょう。西村博之氏とか、ドワンゴとか。
それが民主的な代表かというと、相当疑問符がつくと思います。
個人的には、政治系ブロガーの活躍と、電子投票に期待したいと思っています。
どこかのブログサーバに行けば、出馬を考えている政治家が、自分の公約をブログにアップし、
選挙の時の投票を募っているような状況が望ましいです(政府やNPOがサーバを用意する)。
そして、暗号による高度な不正防止を伴った電子投票を行う。
これにより、インターネットユーザーの意見がある程度政策に反映されるのではないか、
と期待しています。