松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』『誰も知らない世界と日本のまちがい』要約

『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』isbn:4393332652
『誰も知らない世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』isbn:4393332717

『17歳のための世界と日本の見方』要約

  • キリスト教唯一神、善悪二分法
  • ギリシア哲学:感覚ではなく、人間が普遍的に共有できる理念・理想
  • 日本:外国から基本要素を取り入れて、日本なりの様式にしていく
  • ルネサンス:異文化を同化せず、異文化のまま受け入れて、従来の文化と交流させて新しい文化を創造した
  • バロック文化:ドラマチックで、マクロとミクロなどの二つ以上の焦点を持ち、それを一つの方法でつなごうとした

『誰も知らない世界と日本のまちがい』要約

  • 国民国家:16世紀以来、世界進出、イギリス・フランス・ドイツで別々の歴史がある
  • 社会の進歩という思想が生まれたが、精神分析現象学実存主義などによって否定された
  • このままでは世界は政治的公正・経済的効率・文化的自己実現の三つでばらばらになってしまう
  • 世界が、たった一つの強力な原理や制度で動いていくということはなく、そのような制度は世界の多文化にあてはめられない
  • グローバリズムを直接導入するのではなく、日本流にするのがよいのではないか

雑感

『17歳のための世界と日本の見方』は世界各国の文化史、
『誰も知らない世界と日本のまちがい』は国民国家などの制度の歴史がメインです。


文化というものが、ある社会に共有された情報や情報処理の形だとすると、
社会の数だけ文化があると言えます。
ただ、文化の中でもギリシア哲学や国民国家グローバリズムみたいに
普遍性を目指すものは存在します。
普遍性を持てるほどの強力な思想というのは確かにありますが、
それは既存の思想を駆逐「すべき」理由にはなりません。
おおむね、社会は複数の文化を抱えた時、それをすり合わせる努力をするのであって、
片方を無批判に受け入れ、もう片方を駆逐するというのは大変危険な選択です。
文化が社会の要素だとすると、受け入れた文化がその社会に適合するかどうか分からないのだし、
下手をすると社会の崩壊につながります。


普遍的な文化というのは、例えば外交上の合意みたいに、
主体(各個の社会)が受け入れることを前提としておかないと、
今のグローバリズムのように、力ずくで押し付けることになってしまう。
外交上の合意を作っておくことは積極的な意義がありますが、
一つの文化の押し付けは多くの社会の破壊につながります。
それでも、状況的に受け入れを余儀なくされているのだとしたら、
受け入れる側の社会に合わせた形にならざるを得ないでしょう。

雑感おまけ

歴史や思想や制度と、社会の関係について考えないといけない。
これらの間の順列はどうなっているのか。
社会が歴史や思想や制度を作るのか、歴史や思想や制度が社会を作るのか。
それともこれらは一体をなすものなのか。