NHKスペシャル取材班「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」要約

ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか
ヒューマン  なぜヒトは人間になれたのか


人間らしさとは何か? ということを、ヒトが生まれた後の歴史を通じて読む本です。
「始まりの」人間らしさが分かると言う訳ではありませんが、「その後の」人間らしさを理解するのにはいい本です。
ヒトが生まれてから、ヒト固有の領域が生じた。それはどのようなものか? それを探る、という趣旨です。


簡単に言うと、時系列によって「協力する人(互恵的利他主義)」「投げる人(投擲具)」「耕す人(農耕牧畜)」「交換する人(貨幣)」という風に並んでいます。

  • 協力する人

互恵的利他主義とは「助け合い」です。食糧がない時に分け与える、と言う行為はチスイコウモリに見られますし、ヒトの狩猟採集民族においては、事前に何かしら貿易しておいて(例えば芸術品はその特別性から重要な交易品である)、食糧がないときはその友好関係のある相手に食糧を分けてもらう、ということがあります。
チンパンジーにも利他主義はあるのですが、それは「困ったときにお願いされたら助ける」だけであって、「将来助けてもらうことを期待して今助ける」というのではありません。チンパンジー未来を想像する能力がないようで、それが将来を見越した助け合いに発展しない理由なのかも知れません。そこがヒトとチンパンジーの大きな違いです。
互恵的利他主義においては、「」という概念が出てきます。助け合いをしているとフリーライダー(助け合いにただ乗りする個体)が出てくることがあります。こうなると、いずれ助け合いしても損なので、助け合いは成り立たなくなります。そのため、フリーライダーには何も与えないか、追放するかする、ということが見られます。
面白いのが、互恵は公平性とつながっているのですが、ヒトは公平な他者に対しては共感を覚えますが、不公平な他者には共感は働かず、罰が与えられていると快楽を覚える、ということです。互恵的利他主義とそこから要求される公平性は、ヒトの共感と罰に影響を与えている、ということですね。

  • 投げる人

投擲具に関しては、ネアンデルタール人になくてホモ・サピエンスにあるものとして、投槍があります。これは狩猟の幅を大幅に広げたため、ホモ・サピエンスは環境変化で大型動物がいなくなっても食糧に悩むことがなくなった。逆にネアンデルタール人は大柄だったので、大型動物がいなくなると滅びた。というシナリオのようです。
ですが、投擲具には大きな問題があって、普通ヒトは誰かを攻撃すると心が痛むので攻撃できないようになっているのですが、仲間を罰するときに投擲具を使うと、直接攻撃するより心の痛みが少なくて済むので、攻撃性に歯止めが利かなくなっていった。これが集団間戦争になると大変なので、ヒトはお互い遠くに避け合っていくうちに、否応なしに世界中に拡散して行かざるを得なかったのではないか。ということのようです。戦争は決して最初からヒトの業というわけではなかった、ということです。

  • 耕す人

じゃあ戦争はいつ生じたの?
複数の死体に何らかの(攻撃による)痕跡があると、集団間で戦争があったということになりますが、これが1万年前です。これは定住や宗教や農耕牧畜の始まった時期とおおむね重なります。定住や、家族を超えた集団が、縄張り意識を強化して、戦争の元になった、という考え方です。これは狩猟採集民族にもみられる傾向です(定住する狩猟採集民族も存在します)。
宗教と農耕牧畜の話をしましょう。宗教や祭りには、見知らぬ者同士を集団として結束させる力があります。これは、「自分たちと同じく、自分たちも信じる神を畏れているということは、同じ感覚を持つ仲間である」ということです。これは戦争回避のために役立ちました。(今では異なる宗教でできた集団同士が戦争するということが生じているけど)
農耕牧畜ですが、これは宗教や祭りの「後に」生じており、まさに宗教や祭りの「ために」生じた、という仮説が紹介されます。小麦なりビールなりコメなり家畜なりは、宗教や祭りのための特別な「ごちそう」であり、本来日常の食糧ではなかった、という見解です。
農耕によって、ヒトは長いレンジで未来を考える心を持つようになりました。想像力そのものは前からあったんですけど、カレンダーとか天文道具とかは農耕の後で、農耕のためのものとして生じています。

  • 交換する人

さて、最後は交換、貨幣、そしてコインの話です。
都市国家では分業・階級が存在していました。本来は全部自足自給しなければならないところを、交換という方法で、それぞれ分業で専門化して生産性の上がった財を融通し合い、それによって豊かな生活になる。という仕組みが出来ていました。
なお、チンパンジーは分業も交換もしません。コミュニケーションそのものは存在しても、「過去」を表わせるような言葉がないため、「この財は前々から自分が所有していた」ということが表現できず、交換しようとしても奪われた後で知らんぷりされるだけなので、交換が成り立たない、ということのようです。
交換は分業を生みましたが、分業は階級を生み、やがて圧倒的に貧しく債務を抱えた「奴隷」階級を生み出してしまいました。奴隷は、債務を返済するまで、人身売買の対象になり、働かされたのですが、彼らにも救いの手がありました。王宮や神殿による「債権放棄」、日本で言うところの徳政令です。
債権を主に持っているのは王宮や神殿なので、何で王宮や神殿は自分の不利になるような債権放棄を行うのか? というと、狩猟採集民族では格差が忌避され、平等が重んじられていましたが(ヒトの脳には、平等に分け与えることで快楽を得る、という傾向があります)、その原理が当時も生きていたからです。また、軍事上の理由もあります。奴隷のままでは外国に逃亡してしまうので、彼らに国家への忠誠心を回復させ、戦争で戦力としてあてにするために身分を回復させた、ということです。また、人気取りや財政再建策としても乱発されていた側面があります。
ところがこれを覆すシステムが発生します。コインです。それまでは品質の定かではなかった銀の塊とかが貨幣として使われていましたが、古代アテナイ品質の定かなコインを新しい貨幣として使いました。これがどういうことかというと、これが信用できる国際通貨として通用したのです。コインを鋳造するアテナイはべらぼうに儲かりました。
コインは繁栄と破壊を同時にもたらしました。繁栄とは、コインによって裁判所や議員にコインで安定した給料を供給できるようになり、これが市民の政治参加を促し、民主主義の基盤となりました。破壊とは、コインが無限の欲望を可能にしてしまったことです。権威や土地は無限に獲得するのは困難ですが、コインは無限に獲得できて、持てば持つほど経済的に強い、という代物です。これにより平等の原理は失われ、従来の人間関係は分断されていきました(ギリシア悲劇の多くは、富を巡る親族内での暴力や離散をモチーフとしています)。
その代わり、個人主義が生じ、個人がお金を貯めれば何でも出来る、奴隷の身分をも覆せる、これによって富裕層が生じます。ですが、これによって、例の債権放棄によってダメージを受けるのは、もはや王宮や神殿ではなく富裕層ということになってしまいました。こんなことを富裕層が許すはずもなく、債権放棄は猛反発を受け、そのうちなくなっていきました。
このようなコインですが、その後古代アテナイがどうなったかというと、銀山の採掘や銀の精錬のため環境破壊を繰り返すうちに、銀は枯渇し、疫病(マラリア)が発生して、その後滅亡します。
古代ローマはこのような事態を避けるべく、コインから銀の含有量を減らすという禁じ手に出ましたが、これにより信用は失われてしまいました。

  • つまり、どういうことだってばよ?

この前「ヒトを構成している要素」「ヒトとは中立な要素」「ヒト固有の要素」というので分けたら(主に私にとって)分かりやすかったので、今回もそのようにして分けます。

    • ヒトを構成している要素

利他主義

    • ヒトと中立の要素:

戦争(チンパンジーにもあるが、ヒトには本来なかった可能性がある)
定住(多くの動物に見られるが、ヒトには本来なかった可能性がある)
階級(多くの動物に見られるが、ヒトには本来なかった可能性がある)

    • ヒト固有の要素:

互恵的利他主義、公平性、罰
投擲
農耕牧畜
貿易
未来への想像力
宗教

過去の表現
交換、分業
奴隷、債権放棄
コイン、世界的な信用、民主主義、無限の欲望、個人主義、富裕層


また判じ物みたいになってしまった。分からん。今回も結論は出なかった。
ただ、「ヒトと中立の要素」「ヒト固有の要素」が大量に見つかった(一時はヒトを構成している要素としてカウントしていたもの含む)のは大きな進展かも。いずれ例のWikiの修正のために何とか活かしたい。