ヒース『ルールに従う』要約その3

○その他のいろいろ
●意志の弱さ
この本では一章を割いて「意志の弱さ」についてと「道徳とエチケットに根本的な差異はない」ということについて語っています。こちらはどちらかというと既存の説に対する反論なので、個人的に興味があまり惹かれなかったのですが、後で何か役に立つかもしれません。一応要約しました。


第8章『意志の弱さ』についてみてみましょう。
動物の危険回避・遅延回避は、確率の計算ができない間はより確実な行動をもたらすよいヒューリスティック(精度は低いがかかる時間も短い問題解決方法)でしたが、時間の変化によって選好の強さが特定の形で変動する双曲割引という性質に結実しました。進化の上ではよかったのかもしれませんが、後で困ったことになります(伏線2)。
いわゆる意志の弱さについては、謎めいた現象であるアクラシアとして説明されてきました。これは意図的・反選好的選択のことです。つまり、すべてを考慮したうえでxを行うべきだと決定しながら、そうしないケースです。一見ありそうな話ですが、ヒースはそういう仕組みではないと主張します。
ここで双曲割引が出てきます(伏線回収2)。彼らは全てを考慮して決定した上でそれをしないのではないのです。そうではなく、「将来を考えるとあっちの方がいいのかも知れないが、それを今自分が決めるときに、今の自分にはこっちの方が良さそうにしか見えない」というバイアスが働いてしまうのです。
つまり、「すべてを考慮したうえでxを行うべきだと決定しながら、そうしない」のではなく、「バイアスである双曲割引までもを考慮したうえでxを行うべきだと決定して、そうする」のです。確かに双曲割引を考慮すると合理的だが、双曲割引を考慮しないと不合理に見える、そのような行為が生じているということです。
そして、いったん確率の計算ができるようになると、もう双曲割引は単純に有害にしか見えなくなるので、自己コントロールができるようにならねばならなくなります。
このような自己コントロールは外的な協力ルール内面化によってなされるものです。外的な協力や規範よりも内的な意志力を重視する哲学的立場が長らく強かったのですが、これは根拠がない、とヒースは主張します。


●道徳とエチケットに根本的な差異はない
第9章『規範倫理学』では「道徳とエチケットに根本的な差異はない」ということが説明されています。
エチケット道徳と分けようという立場が根強くあるそうです。われわれもそうだと思いがちですが、エチケットとは「他の人々に対する敬意を示す」という道徳に他ならないので、要するに道徳の一種だとヒースは主張します。地位・権利・資格寄りの規範の一種だということですね。
なお、感情反応で両者を分けようとする立場もあるが、感情反応でエチケットと道徳を線引きするやり方は失敗しています。感情反応を引き起こさない道徳もあるし、下品なのでゲッとなる内容を規制するためのエチケットもある。ならば無理に感情反応とかでエチケットと道徳を分けない方がよい、というのがヒースの立場です。


また、近代の道徳哲学者たちは、道徳性の少数の原理から社会規範を演繹しようとしてきましたが、これもヒースは批判します。
社会規範から道徳性帰納しようというのが実際に行われていることであり、先の方法は順序が逆である。また、そのような道徳性の少数の原理とはどのようなものであるのかを人類は未だ知らないので、この方法はうまくいく見込みはない。そもそも社会規範は歴史的には累積的な文化的人工物であり、道徳性の少数の原理から導き出されたものではないので、その方法は正道ですらない。ということのようです。


●さらなるその他
互恵的利他主義敵味方の判断の元になっている可能性がある。


・動物は類似性によって物を分類できるが、似ていないもののペアから、似ている対象のペアを仕分けることができない。つまり、「類似性」という関係それ自体を分類の対象とみなすという高階の課題を遂行することができない。言語によってこのような高階の分類ができるようになる。
・動物は数のヒューリスティックを二つ持つ。非常に少数の対象に関する判断をするための「即座に認知するシステム」と、多数の対象に関して近似的な「あてずっぽう」判断を行うための「大数のシステム」である。言語によってこれらに加えて好きなだけ多くの数を数えることができるようになる。


真理とは、主張や信念満たしているとすでに暗黙的に考えている何らかの基準について語るための表出語彙であり、真理というものが信念と独立してあるわけではない。
因果性とは、一見それ以上説明が必要ない原基であるかのように扱われるが、本質的にはあらゆる種類の仮説的または反事実的条件文に対するコミットメントに基づいている。これは突き詰めれば推論・信念・計画・言語に基づくものであり、さらに突き詰めれば規範的なものである。


○雑感
ぶっちゃけますと、この本読み終えるのに半年以上かかってます。というか要約するのに本の内容をほとんど一字一句Evernoteに書き込むようなことをしています。というか要約でも何でもねえぞ。バカじゃないんですかね。俺。


しかし、得られたものは大きかったと思います。
血縁淘汰と互恵的利他主義のみならず、模倣がどれほど規範を強力に決定しているのか。
従来のベンサム的なサンクションについて、それだけでは何で彼らが規範を心から守るのか、いまいち恐怖政策以外の理解が難しかったのはなぜか。
言語が単なるコミュニケーションの道具ではなく、行動をも決定しているということ。
従来の合理的意思決定理論は久我重明のいう「20箇所の動きから3箇所をひいたもの 17箇所も動かせたら充分に刺せる」寸勁であり、やっぱり全部動かさなきゃ倒せない敵がいるということ。
道徳と倫理の違い。
おまけになりますが、危険回避・遅延回避、敵味方、類似性、数、真理、因果性について。


是非興味のある皆さんも読んでみましょう! 面白いですよ! と言いたいところですが、半年という無茶は言えませんので、このまとめと見比べながらだともう少し早く読めるかも知れません。このまとめがどれほど力になるかは分かりませんが、一助になれば幸いです。