ガザニガ「人間らしさとはなにか?」要約その2

  • 要するに、ヒトを構成している要素と、ヒトと中立の要素と、ヒト固有の要素とは、いったい何なのか?

基準は三つ。
即ち、類人猿にあってヒトに(初期から今まで一貫して)ある要素は、ヒトを構成している要素
類人猿にあるが、初期のヒトになく、今のヒトにある要素(類人猿とヒトがそれぞれ独自に要素を獲得した場合)は、ヒトと中立の要素
類人猿にないが、(初期のヒトにはあってもなくてもよい)今のヒトにある要素(ヒトのみが独自に要素を獲得した場合)は、ヒト固有の要素
他の動物が持っているかどうかは全く問いません(だからヒト固有といっても他の動物が持っていることはある。あくまで霊長類の中で要素を引き継いだか、それぞれ独自に要素を獲得したか、ヒトのみが独自に要素を獲得したかだけを問う)。
また、上記三つと退化の範囲を合わせると、論理的に全部埋まったことになりますが、退化という観点は今回は意図的に無視しています



てんで、今までの要素を見てみましょう。


所有権や集団を巡る道徳性はヒトのみならず、チンパンジーや犬にも存在します。ヒトを構成している要素と言ってよいでしょう。
一方、ヒトの道徳性を支える要素である清浄の概念や自制心や道徳的判断・道徳的解釈、そして宗教はヒトのみにしかないと言われています。ヒト固有の要素と言ってよいでしょう。


道具、心の理論は類人猿にもあります。ヒトを構成している要素と言ってよいでしょう。道具や心の理論の要素である推論や目的論も同様です。
信念。無意識のカテゴライズ機能は目的論や心の理論を支えています。ヒトを構成している要素と言ってよいでしょう。ただし、意識的に信念を検証可能なものと検証不可能なものに分ける能力、分析的思考=科学はヒト固有のものです。動物や類人猿で科学者なんて想像もつきません。


時間的な記憶であるエピソード記憶はどうでしょう。「過去に何かあったから、これを未来に活かそう、ということができれば、エピソード記憶があることになりうる」という立場があります(ガザニガは懐疑的ですが)。これだとオランウータンとボノボはこれが可能だとのことです(チンパンジーとゴリラについては、実験してないのか知りませんが、何も書いてありません。なお、エピソード記憶と心の理論はカケスという鳥にもあると言われています。)ヒトを構成している要素です。
エピソード記憶の要素である自己は? 鏡像自己という概念がありまして、鏡に映った「自己」が「自己」だと分かればとりあえず「自己の何たるかが分かる」、つまり「自己を持っている」という仮説があります(これもガザニガは懐疑的ですが)。これによるとチンパンジー、オランウータン、イルカ、アジア象が鏡像自己を持っているといいます(面白いことにゴリラにはありません。オランウータンより近くチンパンジーより遠い種なのですが、何でオランウータンにあってゴリラにないのかは謎です。進化の違いによりそうなったのでしょうか。ボノボはどうだろう)。やはり、ヒトとを構成している要素ということにしてよいでしょう。なお、自己は推論によって成り立ちますが、推論のようにヒトを構成している要素が、自己のようにヒトを構成している要素「を」構成しているというのは、論理的整合性の上では符合しています。


共感はどうでしょう。これは伝染性のあくびという現象で説明されますが、この現象は心の理論と自己認識の脳部位を使うそうです。チンパンジーはこれを持っています。よって、共感もヒトを構成している要素としてよいでしょう。
模倣は? 大型類人猿と鳥類のいくつかの種、クジラ目の動物にみられるとされます。ヒトを構成している要素。なお、これは自己と他者の区別が必要な能力なので、自己がヒトを構成している要素であるというのと符合します。
想像力。他人の過去や未来の情動について思いを馳せると、それについて共感が働く、ということです。これはヒト固有のものだと言われています。


芸術! チンパンジーは絵画的イメージを伴う芸術を生み出せないので、ヒト固有の要素です。
はどうでしょう。ノドジロオマキザル、オナガザルコクマルガラス、カラスは美を理解できるようです。類人猿はよくわかりません。ヒトと中立な要素。
象徴、言語。美とか、思考や感情や知覚などの情報とかを、何かの手工品や記号であらわせるか否か。これは芸術の要素ですが、言語の要素でもあります。何といっても抽象的な記号は言語の要素だから。その観点から見ると、ボノボのカンジなどは言語を抽象的な記号として使えており、既にボノボには象徴を理解する能力が備わっていると言えます。ただし、ボノボ自体はヒトが持つような言語を持っているわけではなく、ヒトの言語を象徴として理解しているだけです。他の動物も、抽象的な記号を組み合わせた言語というものを、最初から持っている、という証拠はありません。つまり、象徴はヒトを構成する要素としてよいですが、言語はヒト固有の要素であると考えた方がいいでしょう。
制約条件。すなわち、「もしも世界がこんなんだったら」「もしも翼があったなら」「もしも寒い環境に適応しなければならないとしたら」など、そういうことです。これは普通の記憶の集合からすると飛躍があります。組み合わせと組み換えが必要になります。これは象徴主義が必要になります。「これはバナナだが、電話の受話器と見立てて、ごっこ遊びに使えるぞ」という。制約条件は結果として異なる環境に対する適応をもたらします。「もしも寒い環境に適応しなければならないとしたら、服を着よう。暑い環境ではそんな分厚い服は要りませんね」。これはニワシドリでは観測できないというか、ニワシドリにそこまで環境に対する柔軟性はないように見えます。これはヒトに固有の要素です。



べらぼうに長くなってしまいましたが、要約しましょう。

    • ヒトを構成している要素:道徳性、道具、心の理論、推論、目的論、信念、共感、エピソード記憶、自己、模倣、美、象徴
    • ヒト固有の要素:清浄の概念、自制心、道徳的判断、道徳的解釈、宗教、科学、想像力、芸術、言語、制約条件

「人間らしさとはなにか?」とは一言では言えませんが、おおむね前・後に何があるかは大体分かってきました。これが後々役に立つ人もいるでしょう(そうかなあ)。ただ、今回は初期のヒトについては語られていないため、ヒトと中立の要素が見えない、ということは後の課題です(今から読む二冊には初期のヒトと今のヒトの比較があるので、得られる知見も大きい)。
じゃあ人間らしさのコアである「人間性」って何なんだ? ヒトを構成している要素に支えられていて、ヒト固有の要素を成り立たせているような何か。今度はそれを探るための本を読もうと思います。「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」(NHKスペシャル取材班・著)。乞うご期待。