クリストフ・コッホ『意識の探求』要約(4)コッホのモデル(前頭前野以後NCC以前)

前頭前野以後NCC以前
さて、いざ前頭前野まで来たので、前頭前野の各種機能の話になります。とりあえずこの本のテーマである意識的知覚機能・NCC構造のところまでを図示すると、以下のようになります。


・意識
さて、いよいよ意識の話です。前頭前野は意識をもたらします。もっと細かい脳部位が知りたいですが、要するにNCCのネットワークのうちのどこかが担当しているのだと推測されます。
他にも意識を可能にしている要因(この本ではNCCeという表現がされている)があり、まず循環系が動いていないと意識は成り立ちません。血液が必要です。また、前脳基底核(これいわゆる「前脳基底部」のことじゃないかな。大脳基底部に隣接している、アセチルコリンを産出する脳部位のようです。アセチルコリンがないとニューロンが連合できないため、高度な神経活動は何もできなくなります)や脳幹や視床も必要とされます。これらがないと実際に意識が保てません。運動前野も必要で、これがないと意識がないはずだとコッホはいうのですが、これは他の部位と違い症例も実験もないので、何とも言えません。


構造は上記の通りですが、機能面で少し面白い話が出てきます。かつては進化上はシンプルに問題解決するゾンビ・システムだけを持っていた生物がいて(多分今もたくさんいると思う)、その上に新たな機能として、相容れないジレンマを伴う問題解決を行なえるような意識を持つ生物が表われ、これが進化上強みを持つので残ったのではないか、というのです。進化上は時間的にゾンビ・システムの方が意識より前で、ゾンビ・システムの欠点をうまく意識が埋められたので便利だった、ということのようです。本当かよ、と思うのですが、話としては分からなくはありません。


なお、感覚刺激、ある種の覚醒をもたらすノルアドレナリンは、意識そのものをもたらしているわけではありません。夢を見る時に感覚刺激は確かにないので、前者はまあ分かりますが、後者は何で? と思われるかもしれません。実はノルアドレナリンは、夢を見ている間は、大脳皮質に届いていないのです。さらに、意識があっても身体が動かせない発作的脱力症状という症状がありますが、ノルアドレナリンをもたらす青斑核のニューロンは、発作的脱力症状の間、意識があるにもかかわらずまったく活動していないとのことです。つまり、皮質へのノルアドレナリン作用というのは意識の必要条件ではない、ということです。


NCC
この本の主題である、意識的知覚をもたらすNCCの所在ですが、腹側視覚路のうち下側頭葉(IT)やそれ以後の脳部位(特に前頭前野の一部)の双方向的なネットワークがNCCである、それ以前のV1とかや、背側視覚路は、意識的知覚そのものには必要ない、というのがコッホの主張です。
もっと細かい脳部位が知りたいところですし、どうやらある一線を超えた後の脳部位の機能は直接的には意識的知覚されないらしいのですが、まあここまでわかっているなら御の字でしょう。


意識の内容である意識的知覚はどうやって生まれるか。勝ち組ニューロン連合というのがキーワードになります。複数のニューロン連合が競合して、勝ち残って強い状態で送られたものが意識にのぼる、というのが意識的知覚のざっくりとした素描です。
心理学でよくいわれることで、記憶には長さによって、感覚記憶・短期記憶・長期記憶があります。コッホによると、感覚記憶は、ニューロン連合を一定時間以上発火させ続けて強化して勝たせるように働いている、ということです。
ここで実際に意識的知覚で知覚されているのは物体認識であり、空間認知ではないことに注意が必要です。物体は意識できるが空間はそのままでは意識できない、ということです。


NCCの要素や原因とは言いづらいものの、影響を与える機能がいくつかあります。例えば、疲労は意識的知覚に影響を与えます。これは疲れていると坂の傾きが大きく感じられるなどの形で現われます。
また、視覚知覚の一部としてジスト(目の前にあるものの、簡潔な要約で、詳細はすべて省かれている、概念的なスケッチ)や、周辺視覚意識(遠くに離れた一つ二つの物体が見えていること)があり、これが意識にのぼっていて、おかげで我々はそれほど注意深くなくても意識に基づく行動ができます。
また、著作者感覚という聞きなれない用語があります。自分の体を自分で制御しているという感覚のことであり、生存にとってきわめて重要なものです。脳がそれぞれの行動を自分が起こした、とラベルを貼って、区別するのを可能にするからです。もちろん、この主体知覚=著作者感覚にはそれ自身のNCCがあるのであろう、とコッホは言います。視覚のNCCのように、著作者感覚のNCCもあるということです。この本では視覚のNCCの話がほとんどですが、一応書いてあったので、記録しておきます。


・意識以後NCC以外
手続き記憶は大脳基底核線条体等)、感覚運動野、小脳が司ります。コッホは手続き記憶には意識と学習が必要であろうと示唆していますが、前述の通り記憶の大家であるカンデル&スクワイアの本では「そうとは限らない」という説明があります。そこは気を付けて読むべきところでしょう。
知識に関する意味記憶と、時間や空間を織り込んだ思い出に関するエピソード記憶を、あわせて宣言的記憶と呼びます。これらの特徴は意識によって想起・検索できるということ、そしていつもは意識の外にあるということです。私の図では「意識と想起・検索という要素を含む」という意味合いで意識以後としましたが、これも単に意識とは独立にある(あるいは、意識以前からある)素材に過ぎなくて、「意識できる」とか「想起・検索できる」というのは偶有的な要素かもしれません。ここは暫定的な図にならざるを得なくなっています。