クリストフ・コッホ『意識の探求』要約(6)まとめ

●コッホのモデルのまとめ
少なくともこの本の記述をまともに解釈すると、以下のようになります。
・視覚の主経路は物体認識を司る腹側視覚路と、空間認知を司る背側視覚路があり、それぞれ前頭前野腹外側部と前頭前野背外側部につながっている。これらは後でさらに前頭前野のどこかで統合される。
・視覚の副経路四つのうち二つは腹側視覚路と背側視覚路につながり、もう二つは前頭前野全般と、前頭前野の一部である眼窩前頭皮質につながる。
・嗅覚の経路は二つあり、片方は前頭前野全般へ、もう片方は前頭前野のうち非意識的ホムンクルスにつながっている。
・その他、前頭前野全般へつながる部位が、海馬などを含めていくつかある。
前頭前野のどこかが意識をもたらしている。
・意識と、腹側視覚路の中の上位部位である下側頭葉(IT)から来た物体認識によって、意識的知覚がもたらされる。ITと意識の部位と意識的知覚の部位をまとめてNCCとして扱う。
・意識によって想起できる宣言的記憶がある。
・意識的知覚には質感としてのクオリアがある。
・質感は意識の周辺部と呼ばれるニューロン集団と相互作用して、連想された膨大な情報を記号化・ラベル付けして容易に扱えるようにする。宣言的記憶等はこのような質感と連想の結合に影響を与える。
・意識的知覚は作業記憶にも送られる。
・質感と連想のまとまりと、作業記憶によって、行動の計画が立てられるようになる。計画以後は意識的知覚は伴っていない場合がある。
・質感は、多くの行動の可能性を探ること、即ち検討を可能にする。
・非意識的ホムンクルスは意思決定を司る。また、計画と検討が意思決定を可能にする。
・意識的知覚は前部帯状皮質(ACC)にも送られ、ACCはトップダウン注意を司る。
・意思決定とトップダウン注意は随意運動を可能にする。


○この本の強み
何といっても、「謎だった意識を、今分かっている脳部位の性質から、分かるところまで解明しよう、それでモデルも作ってしまおう、そして出来たのがこのモデルだ」という正面突破型の姿勢はたいへん素晴らしいです。
また、このモデルのおかげで、感覚から随意運動までのIN/OUTのうち、意識がどのへんに位置するのかが、今分かっている神経と脳部位の性質から概ね分かる、というのも大きな強みです。
私は何となく「ある程度以後は全部意識が伴っているだろう」と思っていたのですが、そうではなく計画や意思決定には実は意識はもう伴っていないことがある、というのは大きな驚きでした。あくまで意識は中間のとある範囲にしかなく、その前からは意識とは呼べず、その後からも意識とは呼べない、断絶がある、ということです。


また、意識や質感・クオリアの謎は考えると深みにはまるのですが、「意識や質感がどういう仕組みで生まれたかは分からないが、意識や質感がどういう仕組みで働いているかは分かる、随意運動までの流れの中ですごく重要な役割をしているよ」という割り切りで説明しているのは、とりあえずうまいやり方です。意識や質感の謎を解くのは他の人に任せて、機能だけ分かればいい、という、プログラミング業界で言うとカプセル化しても動くことが保証されているオブジェクト指向的な発想ですね(そうかなあ)。少なくとも綺麗に前から後ろに流れるモデルは出来ているんで、一個一個のカプセル化を暴いて中身を知るのはまた後で、という姿勢は、二兎を追うより一兎を得る方がいいじゃないか、という優先順位の割り切りが感じられて、下拵えとしては正しいやり方だ、と私も思います。


○この本の弱み
コッホは手法として、「数秒以上情報を維持することが必要とされる、普段慣れていないことを行なうことができること」である意識と、その内容である質感を伴う意識的知覚を区別しません。意識の所在に狙いをつけるのにはやむを得ない戦術です。
とはいえ、パッと読んだ時に単純に「下側頭葉(IT)は意識的知覚の直接の素材である物体認識をもたらすが、意識を別にもたらしてはいないのではないか? 意識はその後の前頭前野の別のところにあって、そこに届かないと意識的知覚は生まれないんじゃないのか? 物体認識と意識が揃わないと意識的知覚にはならないんじゃないのか? じゃあやはり、意識はどこだ、という問いは改めて答えられなければならんのではないか?」という感じを受けます。
実は、コッホは前頭前野については「こういう部位にこういう機能があるよ」ということをあまり語っていません。そもそも「前頭前野については実験が難しいので分からないことだらけだ」と書いています。だから、機能については説明が充実しているのですが、それがどの部位なのかは読んでも分からないままです。NCCのうち意識の部位や、意識の周辺部や、非意識的ホムンクルスについては、本当は現時点では仮説上のものでしかない。困ります(がしょうがない)。
また、さっき書きましたが、質感・クオリアがどういう仕組みで生じるかの謎は丸ごと残っています。多分この問題に興味のある人は肩透かしを食らうことでしょう。


○まとめ
意識の部位が含まれている前頭前野については、結局この本では分からないことだらけです。
ですが、前頭前野以前の、特に腹側視覚路の研究が進んでいることで、意識的知覚の主要な素材である物体認識についてはかなり分かります。
また、それが意識と結合して意識的知覚になった後、どのようなルートを経て、いわゆる随意運動に至るのか、ということについても、少なくとも納得はいく程度の説明が与えられています(もちろん実験の難しい前頭前野の中の話なので、本当のところは分からないのですが)。
作業用のモデルとしては、意識を扱う他の多くの哲学書より圧倒的に有益でしょう。
ただ、読み解くのかなり大変なので、このエントリーが読解の一助になれば幸いです。
ご精読有難うございました。