『経済の文明史』要約

『経済の文明史』isbn:4480087591

要約(したけど十章もあるので長い。資料的価値として)

はしがき
  • 文化人類学による比較経済学
  • 18世紀以降の近代資本主義は歴史的に特殊なものである
解題 ポランニー経済学とは何か
  • 経済が社会と文化を決定する傾向は、資本主義時代特有の所産である
  • ソ連や中国の実験的経済モデル
  • 市場経済は、労働・土地・貨幣について市場が存在するという意味で特殊である。それらについて市場が存在しない社会も多い
  • 経済の型には、互酬、再分配、交換の三つがある
第一章 自己調整的市場と擬制商品
  • 市場は経済生活の付属物でしかなかったが、現代は市場が経済生活の他の領域を犠牲にして肥大化している
第二章 時代遅れの市場志向
  • 産業文明・自由主義的資本主義批判。だが環境を人工化していく試みは放棄できないので、その中で人間的に生きねばならない
  • 市場経済では、飢えと利得の誘因が生産をもたらすが、他の社会では慣習や伝統など様々な誘因によって生産がもたらされる
  • 自由主義を克服して、技術的には効率が落ちても、生の充実を個人に取り戻さなければならない
第三章 貨幣使用の意味論
  • 貨幣は交換のためだけではなく、支払い・価値の標準・富の貯蔵としても用いられる
  • 支払いは、支払う者の力や地位の削減という宗教的刑法の延長上にある
  • 財宝、基本物資、貨幣は別々の経済的領域を占めていた
第四章 世界経済恐慌のメカニズム
  • 第一次世界大戦後、各国はいくつかの階層の要求を満たすための政策を行い、経済的危機に陥った
  • 東欧の経済的危機を解決するため西欧が経済的危機に陥り、西欧の経済的危機を解決するためアメリカが経済的危機に陥った
第五章 機能的社会理論と社会主義の計算問題
  • 社会主義経済に要請されるのは、生産の最大生産性と社会的公正であり、これらは互いに依存しあう
  • 消費者側の社会であるコミューンと生産団体の間には闘争があるが、この闘争は解決不能でなく、均衡点が必ずある
  • 社会は様々な団体からなり、これらの団体はそれぞれの目的に応じてその社会的機能を果たし、社会全体の機能はこれらの総体からなる
  • 社会主義社会のモデルとして、基本賃金と一定の原材料に関する国定統制価格と、市場価格による混合経済がありうる
第六章 ファシズムの本質
第七章 ハムラビ時代の非市場交易
  • 紀元前17世紀後半のバビロニアには商法があったが、市場はなく、交易人は行政のレールに乗ってリスクなしに利益を得ていた
第八章 アリストテレスによる経済の発見
第九章 西アフリカの奴隷貿易における取り合わせと「貿易オンス」
  • 西アフリカとヨーロッパの商慣習は異なる(ex.西アフリカでは別々の用途に別々の貨幣がある)
  • ヨーロッパは西アフリカに合わせた商習慣(ex.貨幣の組み合わせによる取引、奴隷貿易専用の為替レート)で対応した
第十章 制度化された過程としての経済
  • 経済の実質は、人間に物質的欲求充足の手段を与える限りでの、人間と環境の動的な関係である
  • 経済の主要なパターンは、互酬・再分配・交換である
  • 経済は、集団的な制度の結果であり、私的行為の結果ではない
  • 交易には贈与交易(互酬)・管理交易(再分配)・市場交易(交換)がある
  • 交易では前もって価格が定められている必要があり、市場が価格を形成するのではない
  • 貨幣は交換のためだけではなく、支払い・価値の標準としても用いられる。交換は特に市場交易で発達する
  • 市場は供給群と需要群によって成り立ち、売り手市場・買い手市場などがあり、交換とは本来無関係である
  • 市場で経済を語るのは時代遅れになりつつあり、市場を含めたより広い経済的な視野が望まれるが、そのような視野はいまだ存在しない
解説

さらなる要約

  • 市場経済以外では、経済は独立した領域ではなく、社会制度の一部でしかない
    • 贈与的な互酬、管理的な再分配などが主流で、市場経済的な交換は弱かった
  • 市場経済では、経済は独立した領域であり、社会を決定しようとするが、それは上手くいっていない
  • 市場経済以外と市場経済を共に論じ、経済を社会に再編する視野が望まれるが、そのような視野はいまだ存在しない


精髄を取り出すとこうなりますが、他のエッセンスが飛んじゃいますね。ううむ。


カール・ポランニーは社会主義者ですが、経済が社会を決定するというマルクス主義に対抗しており、
むしろ多くの社会では経済は社会の一部でしかなく、従来の経済学ではそうした社会に対応できない、
と主張しています。社会→経済、という感じですね。
(なお、当時の社会主義は馬鹿にしたものではなく、福祉国家論の一環として、
頭のいい人が真剣に取り組んだものだということは注意されていいところです)


カール・ポランニーが求めた経済的視野が今の時代あるかというと、いまだ存在しない、
というのが正直なところです。
経済学は今でもメインは高度に数学的であって、社会学とかとはあまり関係ないですね
(社会経済学や経済社会学は存在しますが、それがメインではありません)。
今の経済政策が数学だけで本当に論じうるのかというと大変疑問符がつくので、
社会学との絡みあいは是非望まれるところなのですが、まだまだといったところです。

要約おまけ


宗教アレルギーの多い日本人にとっては「そうだったのか!」と驚くところです。
神の前の平等ときた! これって大変ユダヤキリスト教的発想で、日本にはない発想です
(明治から昭和初期までの天皇制は違います。華族や勲章に特権があったからね)。


じゃあ日本人が法の下の平等を唱えるにはどうすればいいのか。憲法14条の根拠は?
連合国は当時最先端の民主主義モデルを、民主化のために憲法などの形で日本に適用した。
日本はその制度を受け入れたが、思想まで受け入れたかと言うと、どうかなあ。
日本国憲法の骨子と言われる憲法13条、個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉
(「他人の人権を侵害しない」の意味です)が日本の常識かというと、
およそそんなことはないですよね。


日本は法の下の平等や個人の尊重については、思想なしで制度だけ受け入れてしまったのか?
それとも本当は対応する思想がちゃんとあって、人々に受け入れられているのか?
ここは実は考えるとアツいテーマです。
考えなくても生きていけるけど、国家が我々に何かしてくる場合はそうはいかない。
裁判で国家と争って、理詰めで「我々にはこれこれこういう人権が保障されている!」
と言って勝てるようにしておかなければならない。
あと外国人に日本語で何か訊かれた時にも答えられるようにしておきたい。