ハイデガー『存在と時間』要約

存在と時間』1isbn:4121600517
存在と時間』2isbn:4121600533


ハイデガーの世界観を描くとこんな感じ。

時間性

時間性がまずあり、到来(未来)・既在性(過去)・現在に分かれる。それぞれ本来的・非本来的な在り方がある。

到来

本来的には先駆という形をとる。先駆は死に向かう存在の在り方である。これは後に述べる企投・了解の元になる。
非本来的には予期という形を取る。これは期待の元になる。

既在性

本来的には取り返しという形を取る。これは後に述べる被投・情状性の元になる。
非本来的には忘却という形を取る。これは無関心の元になる。

現在

本来的には瞬視という形を取る。これは落ち着きの元になる。
非本来的には現成化という形を取る。これは後に述べる頽落の元になる。

現存在

この時間性に基づき現存在(いま、ここ、わたし)が生じる。

現存在の在り方

現存在は、選択するという能動的な企投・ある状況にあるという受動的な被投・日常に追われて自分らしくなくなるという頽落の三つの面を持つ。
(わたしなのに自分らしくなくなることがわたしらしさの一面だというのは面白いですよね)
このような在り方を総称して気遣いと呼ぶ。気遣いにはさらに本来的・非本来的な在り方があり、まとめて世界を生きる現存在、世界内存在と呼ぶ。

現存在の本来的な在り方=開示性

現存在は本来的には開示性という在り方をし、これは情状性・語り・了解という形を取る。
情状性は気分であり、被投の在り方である。
了解は情状性の中に目的や意義を視て取ることであり、企投の在り方である。解釈や陳述(判断)という形を取る。
語りは了解・解釈・陳述したものを他者に語ることである。これは後に述べる共存在に関わる。

現存在の非本来的な在り方=頽落

現存在は非本来的には頽落という在り方をし、これは空談(語り)・好奇心(視)・曖昧性(了解)という形を取る。
空談は意味のない会話であり、真の了解を閉ざすものである。
好奇心は意味のない視であり、これも了解から遠いものである。
曖昧性は了解しないことであり、公共性への関心を失わせることである。

共存在(他者・公共性)

なぜ非本来的になるかというと、現存在は共存在であり、他者を顧慮して公共性を獲得するものであるが、公共性を獲得すると非本来的な在り方になってしまう、という。
ハイデガーは他者や公共性という概念を非本来的な在り方としてしまっているが、これは本にそう書いてあるので仕方ない。

良心と責めと決意性

現存在が本来的になろうとする働きが良心である。
現存在が非本来的になりうる可能性が責めである。
責めを負うための良心を持とうと決意する本来的なあり方が決意性である。

空間性

現存在に基づき遠ざかりの奪取(空間性)が生じる。

世界・有意義性・道具性

空間性により世界が生じる。世界は有意義性を持ち、目的・手段・用途性・適用・適具に従って適所性、すなわちふさわしい在り方で存在する。

事物

最終的に世界から数学的企投(主題化)が生じ、事物が生じる。事物が道具になるのではなく、道具が事物になるという解釈。


因果関係にするとこんな感じ。
時間性
→現存在(私)
→空間性
→世界(有意義性・道具性)
→事物(主題化)